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希望を食べて生きる

外科を受診に来たKさんが
「マーカーが下がったの!嬉しい!このままきっと下がるわね!」
といって血液検査の結果をみせてくださいました。
Kさんはとてもとても嬉しそうです。
検査結果を見るとCEAとAFPがわずかに下降していました。

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Kさんは肝臓がんの再発患者さんです。
手術をし、抗がん剤治療を乗り越えたのですが再発してしまいました。
現在抗がん剤治療中であり、抗がん剤をやればがんは治ると思っています。
しかし、そんな期待とは裏腹に、CT上、腫瘍は増大しており、
PD(Progressive Disease)の状態でした。
(要はがんが縮小せず、増大一辺倒という感じなのです)

Kさんは今日、血液検査と一緒にとったCT検査の結果を聞きに来ました。
私との会話の時点で、CTの結果をまだ知りません。
医療者側の見解としては、腫瘍マーカーの下降は一時的なものに過ぎず
しかも下降といっても、ちょっとした測定誤差に近い下降だったため
次回の血液検査では上昇するだろうことが99%以上の確率で確実視できます。
CT結果を知った後のKさんの落胆する様子が目に浮かびます。

目の前で喜んでいるKさんを前に「そうですね」といったものの
なんだかすごい複雑な気分で、心底喜べない自分がいました。

CT検査の結果をきいたKさんは、案の上、落胆していました。
私はなんだかいたたまれなくて、すごく申し訳ない気持ちになってしまいました。

★ ★ ★

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知っていたのに、嘘をついた。だました。ぬか喜びさせた。
・・・自分の中にはそんな気持ちが渦巻きました。

でももし、本当に自分もCTの検査結果を知らなかったとしたら
Kさんのマーカーの下降の話を聞いた時に素直に喜べたと思うのです。
そしてCT検査の結果を知った時には、患者さんと一緒に落胆しただろうと思うのです。

知っているのに、知らないふりをして喜ぶことはいけないことでしょうか。
患者さんのためにはどうしたらよかったのでしょうか。

後日、Kさんと、その日のことを話す機会がありました。

「Kさん、私、CTの説明の時、検査の結果をもう知っていたんです。
でも、Kさんは嬉しそうだし、自分は結果を知っているしで
なんだかうまく喜べなかったんです。ごめんなさい」

『やっぱりね。なんかそんな気がしたのよ。
だって、いつもなら一緒にやった~!って言ってくれるハズなのに
なんだか腰が引けてるっていうか、おかしいなって思ったのよ』

・・・スルドイっ!患者さんってスルドイ!

「私、嘘ついてるなって思って。ああいう時はどうしたらよかったんでしょうかね」

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・・・するとKさんは言いました。
『一緒に喜んでくれたらよかったのよ。だって私は喜んでたんだもの。
結果を知っていたとしても、私はまだそれを知らないわけでしょ?
一緒によかったって喜んでくれる人がいてくれることが一番なのよ。
こっちが喜んでいるのに、看護師さんが喜んでくれなかったら
なんで?って思っちゃうじゃない。余計に不安になっちゃうわよ。
あの瞬間、私は結果を知らなかった。それが事実なのよ』

『もしかしたら「知ってたのに言ってくれなかった」って思うかもしれない。
でも、それは1つの結果の形であって、そう思わないかもしれないでしょ?
そんな先のことを気にするより、あの瞬間を一緒に喜んでくれることのほうが大事。
それが次の瞬間、潰えてしまう希望であっても、希望は希望だもの。
希望がなくなったら人は生きてはいけないわ。
小さな喜びが希望になって、私の中でその希望の面積が増えるほうが幸せなの』

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・・・そうか。でも希望が大きいと、落胆も大きくなってしまうんじゃないのかな。

『確かにそうかも知れないわね・・・でも、だからといって期待しないで
希望を持たないで、鬱々と過ごすほうが幸せかしら?
まあ、それは人によるかもしれないわね。
少なくとも私は、希望の面積を増やしていきたいと思うのよ』

★  ★  ★

患者さんの言葉というのは、どうしてあんなに力があるのでしょうか?
患者さんは本当にいろいろなことを教えてくれます。
なんでしょうか・・・人生哲学?
患者さんに聞いてしまう自分もどうよ!と思うのですが
Kさんはとても静かに自分の気持ちを話してくださいました。

希望の面積を増やしていきたい・・・
希望を食べて生きている・・・人間ってそんな存在なのかなと思いました。
キルケゴールが「死に至る病とは絶望である」と述べていますが
まさに・・・その通りなのかもしれません。
希望がなくなって絶望したら、人は死に至るのかもしれません。
たとえ生物学的な命があったとしても、人間としての生は尽きるのかも・・・。

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希望の「希」の字には、まれとかめったにないとか少ないという意味があるので
希望なんていうと、なんだか仰々しい大きな望みみたいに感じますが
同様に「希」の字には、うすいとかかすかという意味があるので
本当に些細なちょっとした望み、いつもは当たり前だと思っているような望みを
人間は毎日パクパク食べて生きているのかな・・・などと
ちょっと哲学チックに考えてみる今日この頃でした。

コロコロ転がる心

ある日
とある患者さんが検査を受ける受けないで病棟は大混乱。

必要な検査だったので医師をはじめ看護師も
患者さん及びご家族に一生懸命そのことを説明。
しかし・・・

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家族さん 「アンタ、子どもみたいに駄々こねてないで受けなさいよ!」
患者さん 「うるせぇ!俺の体のことは俺が決める!」
結局、検査を受けてもらえる同意は取れず仕舞いに終わりました。

数日後・・・
患者さんから「やっぱり検査を受けることにした!」という申し出が!
さっそく医師へ報告し、検査の予約を取りました。
病棟スタッフ、そしてご家族さんもやれやれと一件落着。

ところが検査前日・・・
患者さんから「明日の検査は中止してくれ・・・」という申し出が!!?
なぜか患者さんの気が変わり、検査を受けないと言い出しました。
みんなで話を聞いたり、説明をしたりしたのですが
結局申し出は取り下げられず、検査はキャンセルになりました。

しかしその2日後・・・
患者さんから「考えたんだが、今からでももう一度検査を受けたい」と!
もちろん検査は受けていただいたほうがいいに決まっていますので
再び医師に連絡し、検査予約を入れてもらうことに。そして一件落着。

でも検査当日・・・
患者さんから「今日は気分がのらないんだ・・・やめる」とのこと!!
医師を含め師長が出てきて話を聞きましたが、のらない気分の原因は不明。
ご家族は患者さんに対して怒り出すわ、検査室から嫌味は言われるわで
なんだか病棟中、不穏な空気が充満し始めました。

★  ★  ★

「もう!なんなの!あの患者さん!」
「意思が弱いって言うか、優柔不断っていうかさ!」
「患者の都合だけで振り回されたら適わないよね!」
看護師からもイライラが噴出。
けっこう大きな検査で、準備もいろいろあったんですよね。
そして説明がわかりやすいと評判の医師がムンテラをして
看護師も時間をかけて話をして、師長も話をきいていて
「こんなに至れり尽くせりやったのに、何が不満なの!」
となってしまったのです。

しかし、それを聞いて、ムンテラをした医師が一言いいました。

「コロコロ・・・コロコロ・・・転がるからココロなんだよ。
一度決断したことが絶対ではないし、変わらないわけじゃない。
転がって、転がって、もしかしたら振り出しに戻るかもしれないけど
そうやって落ち着く場所が決まるまで、転がり続けるかもしれないね。
何か自分でもわからない不安があったりするのかもしれないから
みなさんは傍にいて、転がるココロをキャッチしてあげてください」

転がるからココロ・・・。なんか納得。

その後は、その患者さんを見るたびに「コロコロコロ・・・」という
効果音がいつもついてまわるようになってしまいました。

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あの患者さんのココロは、まだコロコロ転がっていて
落ち着きどころを探しているのかもしれません。
そして私達も、まだ患者さんの転がるココロをキャッチできていません。

検査を受ける受けないでこちらもイライラしてしまったけれど
転がり続ける患者さんのココロを
優しくキャッチできたらいいな・・・と思うのでした。

余命3ヶ月の教え

ターミナル期を在宅で過ごされ、亡くなられたWさんのこと。

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外科病棟で仲良くなったWさんという患者さんがいました。
Wさんはもともと前立腺がんの骨転移で治療をしていた方でした。
私は外科病棟をやめてから、Wさんにはしばらく会っていませんでしたが
連絡が来て、Wさんのご自宅にお伺いする機会を得ました。

Wさんのお宅にお邪魔した日。
Wさんがあまりにも痩せ細ってしまっていたことにビックリしました。
2ヶ月くらい前から、急に痛みが強くなり、腫瘍マーカーも上昇したそうです。
私はどこかでWさんはずっと元気だと勝手に思っていました。

Wさんはいろいろなことをお話してくれました。

主治医から余命は3ヶ月だと宣言されたこと。
今後は痛みのコントロールのための治療しかしないということ。
最後は在宅で死にたいと思っていること。
在宅で死にたいけれど、日本ではそれがまだ難しいこと。
ましてや一人暮らしのWさんにはさらにそれが困難であること。

財産分与のためには、たくさんの専門的知識や書類がいること。
死んだら銀行口座からお金が引き出せなくなること。
だから死ぬ前に貸金庫にそれを移動しておくこと。

お墓の準備や死んだらどうするかということも
死を前にした状態で考えなくてはいけないこと。

ケアマネさんが入って様々なケアプランを提案してくれても
結局、今後の自分の生活は自分で考えなくてはいけないこと。
それを痛みのある自由が利かない身体でやっていかなけれがならないこと。

大まかなことはヘルパーさんが手伝ってくれても
ヘルパーさんによってやり方が異なることに戸惑ってしまうこと。
ちょっとしたことができないことに気づいてもらえないこと。
(大きな動作はできても、ちょっと床にモノを落とした場合など
自分で拾うことができないのです。腰椎転移があるので)
痩せ細った身体には、ご飯茶碗の重みが辛いこと。
いくら出来上がった食べ物をデリバリーされても
それを温めたりすることがとても大変なこと。
一人での食事がいかに食欲を落とすかということ。

いくら住み慣れていても、お部屋で転んでしまうのが恐いこと。
仲間はたくさんお見舞いにきてくれるけれど
「今!」と思うときや一番いて欲しい時間にいてくれないこと。
だんだん痛みが強くなること。
だんだん身体が動かなくなること。
夜・・・夜中に息が、心臓が止まってしまうのではと思うこと。

命に限りがあると宣告されて迎える夜というのは
いったいどんなものなのでしょう?
明日が保障されない夜というのは、いったいどんなものなのでしょう?

こういうときに本当に欲しいものは、お金でもモノでもないこと。
人の優しさや心遣いがいかに大きな力になるかということ。

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がんによる死亡者の増加や高齢者死亡の増加などによって
終末期医療の重要性が叫ばれ、注目され、さまざまな取り組みがなされています。
しかし、ターミナルケアは現在、よい方向に向かっているのでしょうか?
ターミナルケアはいくら理論や方法論が進化しても何故か寂しいばかりです。
スピリチュアルケア、ホスピスケア、ホリスティックケア・・・とても大切だと思います。

でも・・・私達は何か、本質的なことを見逃してしまってはいないでしょうか。
本当の核になる部分を見つめずに、来てしまっているのではないでしょうか。
日本人である私達は自分の人生の最後をどんなふうに迎えたいのでしょうか。

外国の輸入品ではなく、私達が目指すターミナルケアはいったい何処なのでしょうか。
Wさんの話を聞いていると、そんな疑問を抱かずにはいらせませんでした。
Wさんのご冥福を心からお祈りいたします。
そしてたくさんの想い出と問題提起に心からの感謝を。

グリーフワーク

受け持ち患者さんだったT蔵さんが亡くなってから4年が経ちます。
先日、T蔵さんの奥様からメールがやってきて
お墓参りにご一緒させていただきました。

T蔵さんが亡くなった時、奥様の悲しみようは
それはそれは深いものでした。
声を上げて泣くのではなく、お花がしおれてポキンと折れる感じ。
「あの奥さん、大丈夫かな・・・」
病棟のナース達はみんな心配していたのですが
ウチの病棟には遺族ケアみたいなことは浸透していなかったため
結局、気になりつつ、そのまま・・・という感じでした。

4年ぶりの奥様との再会。
「もしかしてまだツライ気持ちを抱えていらっしゃるのかな・・・」
すこし緊張しつつ、待ち合わせ場所に向かいました。

★ ★ ★

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あ、奥さんだ。よかった元気そう・・・

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なんだかホッとしちゃったなぁ・・・

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「久しぶりね」「4年ぶりですね」

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「こんにちは、おとうさん。暖かくなったわね」

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「今日はお世話になった看護師さんも来てくれたわよ」

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「もう4年も経っちゃったんですって。
そんなに経っているなんて思えないわね・・・」

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・・・・・・。

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「いつも守ってくれてありがとう。私は大丈夫よ。
でも、まぁ・・・もう少ししたら逢えるわね。だから待っていてね」

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・・・奥さん、乗り越えたんだなぁ・・・
今もT蔵さんのこと、愛してるんだなぁ・・・

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ああ・・・奥さんの心の中にT蔵さんは生きていて
奥さんを支えているんだなぁ・・・

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大切な人を亡くしたときの悲嘆(グリーフ)というのは
他人には想像できないほどの悲しみなのだと思います。
特に配偶者の喪失はもっとも辛いとされており
経験のない私では想像できない域の悲しみなのだと思います。
時には悲嘆がきっかけで病気になってしまうこともあります。
だからこそグリーフケアの大切さが叫ばれるのでしょう。

大切な人が亡くなることで、人は弱く脆くなります。
でもその悲しみを乗り越えると、亡くなった人は大きな支えになります。
ご遺族をみていると、いつもそう思います。

人はいつ死ぬのでしょうか?
奥さんの心の中では今もT蔵さんが生きていて
奥さんをずっと見守り支えてくれています。

肉体は死んでしまっても、医学的社会的には死んでしまっても
その人を思い続ける人がいる限り、人は死なないのかも知れません。
心の中に生き続けるからです。

確かに、私のおじいちゃんとおばあちゃんも
今も私の心の中に生きていて、私を支えてくれています。
「そうそう・・・こんな時、おばあちゃんは必ずこう言ってたよなぁ・・・」

そんなことを思い出しながら
今日は仏壇のおじいちゃんとおばあちゃんの写真をマジマジと眺めてしまいました。


症状があるからこそ

誰だって辛い症状があるのはとっても嫌なことです。

乳がんの患者さんであるHさんは現在抗がん剤治療中。
3週間に1回の抗がん剤投与ですが
投与2~3日で吐き気が出現し、3~4日それが続きます。
そして2週間目には白血球が下がるので3日注射に通います。
髪の毛も抜けてきたので、美容院で五分刈りにしました。

がん患者さんにとって腫瘍を摘出するための手術はツライことですが
それ以上に、実際に辛いのは後の抗がん剤治療のほうかもしれません。

でもHさんはとっても前向き。

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「抗がん剤をやって吐き気でぜんぜん食べられないのって
確かに辛いんだけど、吐き気が治まって食事をした時の
こんな喜びを体験できるなんて、すごく良い!」

「食べ物ってこんなに美味しかったんだなって思うの。
胃がバクバク食べ物に噛みついているのがわかるのよ」

「今までいかに食べ物に無関心だったかがわかるわよ。
こんなに美味しいんだ!ありがと~って気分になる」

Hさんは本当にニコニコ、自分の体験を語ってくれます。

「だるかったり症状があるのは辛いけれど、症状があるのがいいの。
抗がん剤でとっても身体がまいっている時に
症状が何にもなかったら、無理しちゃうでしょ?
『今は身体がキツイんだから、大事にしろよ』
っていうシグナルをきちんと身体が出してくれているのよ。
症状が強いってことは、それだけ労わらなきゃならないってことよ」

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なるほど。すごい発想!
身体は『治ろう!今、身体はこんな状態だよ~』というのを症状として出して
『今、身体の中頑張ってるよ!戦ってるよ!』って教えてくれつつ
『だから身体の外身も無理しないでね!』と
教えてくれているというわけですね。

いやはや、患者さんって本当にすごいなって思います。
こういう発想は看護学をやっていても授業では教えてもらえないコト。
でもなんだか身体の神秘を言い当てているような気がしませんか?

机上の教科書では学べないこと。
教えてくれるのは、いつも患者さんです。


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ご訪問いただき有り難うございます。当ブログはナースyoyocoの日常を綴った”勝手に看護覚え書”です。ほぼ自己満足で出来上がっており、医療に役立つ内容にはなっておりません。日々働く中で考えたこと、感じたこと、そして周りの楽しい仲間達について、私的視点から描いています。興味のある方はどうぞご覧ください。

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